吉田尚英 永寿院

一級建築士から住職までの道のり

永寿院30世吉田尚英住職は、一級建築士という異色の経歴をお持ちのお坊さん。
大学を卒業して10年余にわたって設計事務所で厳しい職人の世界でもまれ、33歳の時に永寿院の住職になりました。
昭和35年、吉田住職は横浜市本立寺(ほんりゅうじ)に生まれます。永寿院28世金子日威上人は吉田住職の祖父にあたり、のちに池上本門寺80世貫首をお勤めになった方です。永寿院29世豊田弁惠上人は、大叔父にあたる方でした。

おじいさまと吉田住職の幼い頃
http://www.eijuin.jp/News/view/1/196

ご実家の本立寺について
http://www.eijuin.jp/News/view/1/171

昔からものづくりに興味を持っていた吉田住職は、法政大学工学部建築学科を卒業して設計事務所に就職します。朝8時から仕事が始まり、終わるのは深夜12時を過ぎることが多く、仕事漬けの毎日だったそうです。

設計事務所で6年過ごした後、休職して2年間立正大学に編入。立正大学在学中に、一級建築士の試験に合格。立正大学卒業後、以前の設計事務所に戻り、再び建築士として働き始めます。
しかし3年経った時、永寿院の先代豊田上人が亡くなられたのを機に、吉田住職は設計事務所を辞めました。
設計事務所の先生とは、昨年末(平成24年)お亡くなりになるまでずっと付き合いが続いていたそうです。

吉田尚英 永寿院

住職になられてから

永寿院隣地にある江戸時代大名墓「万両塚」・古墳・弥生住居址の発掘調査・整備修景などの活動を行なっている住職。本堂内には、発掘された弥生式土器や埴輪、副葬品など貴重な史料が保存されています。
ご住職自ら、保存された遺跡を案内したり、子どもたちや一般の方々を対象にした歴史散策ツアーも精力的に行なっていらっしゃいます。合祀墓の横には2000年の歴史を描いたレリーフが施され、埴輪や土器のレプリカが配置されています。
歴史が重層するこの場所に、永代供養墓を設置した住職の想いを伺ってみました。

「万両塚も古墳も同じお墓です。私たちが生きる現代のお墓も一緒に未来へつないでいきたいと思っています。万両塚の芳心院さまや古墳に眠る被葬者のように、一つの時代の足跡を残すお墓として、永代供養墓を作りました。個人墓と合祀墓に入る方々には、今この時代の想いや文化や生活を伝えていく代表者になってもらいたい。そういう志を持った方に入っていただきたいです。自分の生き様を示すお墓を遺し、百年後千年後に、平成の世にこういう人たちがいたんだ、と歴史をつないでいただきたいと思っています」

―――お寺と環境問題について考え始めたきっかけは何でしたか?

「ダイオキシンなどが話題になり始めたころ、体系的に環境問題について学びたいと考え、平成10年「東京都環境学習リーダー講座」を受講しました。様々な立場・年齢の受講者たちが集まり、1年半毎週1回専門家による講義を受けました。ここで学んだワークショップやロールプレーなどの手法はたいへん勉強になり、お寺での活動にも展開できました。
講義で知り合った方で、お寺として環境問題に取り組む活動に協力してくださっている方もいます」

―――環境問題を考える一環として「杉塔婆の普及を考える会」に携わっていらっしゃいますが、こちらのきっかけも教えてください。

「日本の林業の問題への取り組みとして「近くの山の木で家をつくる運動」を建築関係者が進めていました。私も建築に携わっていたので、その運動に関心を持っていたとき、東京の山の木で塔婆をつくっている業者がいることを知ったのです。
建築材同様、塔婆も安い外材が主流となり、日本の山は荒れる一方でした。そこで多摩産の杉塔婆が流通することで、山を守ることの一助になればと考えたのです。
永寿院で多摩産の杉塔婆を使うだけではなく、各宗派のお寺にまでネットワークを広げ呼びかけたり、檀信徒の皆さんと多摩の山を訪ねたりしながら、楽しく活動しています」

―――ネットワークが広がるというお話しですが、住職は他宗派の方々とも交流があるそうで、これはどういうきっかけなのですか。

「6年ほど前から『自死・自殺に向き合う僧侶の会』に関わり、様々な宗派の僧侶仲間と取り組んできました。自ら死を選ばざるを得ないほどの悩みにどう向き合うか、重い課題に共に向き合う仲間たちとはとても深い関係になりました。
さらに、その僧侶仲間有志で、『寺ネット・サンガ』という団体を立ち上げました。『寺ネット・サンガ』は、お寺とかかわりのない一般の方々と仏教やお寺の縁結びをしようと活動をしています。また、僧侶は自分の宗派については詳しいけれど、他の宗派についてはほとんどわからない場合が多いのです。『寺ネット・サンガ』では、他の宗派の教義や儀式についてその宗派の内側から勉強できるのが楽しいし、よろこびでもあります。以前からこういう場を作りたかったので、とても充実しています」

―――現在、様々な活動の中でかなりお忙しい日々を過ごしているのではないでしょうか。

「友人から『吉田の趣味はお坊さんだな』と言われたことがあります。いろいろな事に興味を持って参加し、活動をしているうちに、何かの役に立っている気がするし、それがお預かりした「お布施」を世の中のために使うことになるのではないかと思うのです。
給料をもらうための仕事ではなく、楽しんで取り組んでいることが趣味と言われたのだと思います。そんな立場にいられることがとてもありがたく、日々神仏に感謝しています」

常に謙遜の姿勢を崩さない住職。書院にはたくさんの書籍が並び、よく勉強をされているようです。
大田観光協会主催の「お会式参拝ツアー」では24時間ガイドを務められたり、「おおた商い観光展」への出展など、地元の方々と協力しながら地域活性のイベントにも携わり、テレビ出演や書籍の執筆など活躍の場を広げていらっしゃいます。

歴史を単なる過去と認識するのではなく、歴史が今の私たちに何を語り伝えたいのかということを大切にしていらっしゃる吉田住職。そのお話から、未来へ私たちの「メッセージを託す永代供養墓」というお墓の新しいありかたが見えてきました。

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